察する・空気を読むことは義務ですか?【曖昧な状況や言葉が苦手タイプ】

今回記事のキャプション

・曖昧なものが理解できないタイプの人

・察する・空気を読むことが苦手なタイプの人

どちらも言い分も間違いではないのに思想が対立してしまうことあります。

例えば、はっきり言ってほしい派VS察してほしい派。き○こ山とた○のこの里のような関係です。

前者側の理由としては主に「曖昧な状況や言葉が理解できない」タイプが多いのではないでしょうか。

つまり察することが苦手な方というわけです。類語では空気を読むことが苦手なタイプともいいます。

察することや空気を読むことは義務なの?

義務ではありません!

理由は単純。この話題はただのタイプ違いであるというだけであり、強制でなく任意の類に入るからです。

はっきり言ってほしい派VS察してほしい派にはどちらにも言い分があります。そしてどちらも正しいため白黒善悪をつけることができません。

方向性・タイプ違いというしかないのです。

曖昧な状況や言葉が理解できないとは、

「空気が読めない」「明確に言われるまで動かない」「具体的指定がないと(種類が多すぎて特定できず)買い物ができない」等を指します

ですが察することができない・空気を読むことができないと悲観する必要はありません。

タイプが違うのに、同じタイプになれと押し付けてくるのは他者の都合でしかないのです。

目次

理由

・正解とは限らない
・自分と他者は別もの
・タイプ違い

正解とは限らない

自分なりに相手のことを察して行動してみたとしても相手が答えを言わない以上は正しいとは限りません。

実は全くの逆効果の可能性もあるということです。

本人にハッキリ言われるまでは全てが曖昧で確定しません。

察することに長けているタイプは単純に相手の思考・行動パターンを知り尽くしているからです。

しかしさすがによく知らない相手のことを察することはほぼ不可能に近いでしょう。

情報を取集し尽くしたうえで「相手が望むと予想される言葉を言う」

「相手が望むであろう行動を先に取る」という選択肢が出るだけで確定事項ではないのです。

自分と他者は別もの

自分と他者は大半は別ものです。

身体・立場・性格・性質・経歴・環境・家族等々。

ある程度学校などで同じレールを歩んだ共通点があったとしても丸被りする人はいません。

察するとは他者の心情・事情を推し量る、汲み取ることです。

察してほしい要求をするときは、相手に相応の情報を出していることが前提条件になります。

ですがこの時点で穴があります。情報を出していれば、”相手もわかるだろう”と思いがちではありませんか?

初歩的なすれ違いとしては”常識が噛み合わない”ことです。

“常識”ならばわかって当然と思い込む人が多いのです。

察してほしいの問題点は、相手が正解をほぼ一つに決めていることであり他の回答を許さない傾向が強めなことでしょう。

タイプ違い

人間の血液型が4種類あることにおかしいと疑う人はいませんよね?

あなたは○○型ですと聞いたら、そうなんだと受け入れるでしょう。

察することができる人はついエスパーのように見えがちですがメリット・デメリットは存在します。

メリット=相手の事を考えている証であるため他者に評価されやすい

デメリット=他者のことを考えすぎて自身を疎かにしやすい

一長一短ですよね?

“察してるけど特に何もしない”も部類だって存在します。

集団に属すと察することは重要なのではという空気にのまれがちですが、”しなければならない”なんてことはないのです。

要求されやすい例

察してほしいと要求されやすい状況は大体2パターンです。

・集団
・相手が不機嫌や精神的不安定

集団

集団だと察するより”空気を読む”の方がよく使うかもしれません。

なぜ空気を読めを言われるのかは秩序のためです。

秩序が保てず全員がバラバラに動くことは指揮・管理する側が困ります。

なのである程度は方向性を統一したいのです。

わかりやすく管理するためにそろえてほしいのです。

例えるなら、集団は一つの部品であり個人はその中の歯車です。
空気の読める人は色々な箇所に嚙み合うことができるタイプの歯車ですが、空気の読めない人は特定の箇所以外に噛み合わないタイプの歯車です。
集団という名の部品は作成条件として”全ての歯車を使用しなければなりません”。
そのため、部品に歯車を噛み合わせたい側(管理側)にとっては後者は使いどころが限定されるためよく思われないのです。

集団の場合、選択肢が「空気を読んで周りに従う」か「空気が読めず結果的に従わない」の二択しかありません。

特別な何かをせずともちょっとしたことで自動的に多数派少数派ができてしまいます。

よく少数派を異端と称したりはしませんか?

“少数派”と区別するのは管理しづらい、扱いづらい、周りと同じようにできないのが理解できないからです。

空気を読むことが苦手側にとっては多数派の方こそ明確に指示されていないのに勝手に周りと示しあって動く恐ろしい集合体に見えるのです。

相手が不機嫌や精神的不安定

主に一対一の場合。身内など比較的関係が近しい者が該当しやすいです。

察してほしいと言われやすい状況としては集団よりはこちらがメインでしょう。

精神的に不安定で明らかに不調なのに相手が全く配慮してくれないという構図です。

心がないのか?というより心がわからないというやつです。

配慮や優しさと言っても色々な形があります。

例を挙げると、あなたにとって近しい者の機嫌や調子があからさまによくない時の選択肢は一つではありません。

選択肢の例
①何があったのか聞く。内容の正否はともかく慰める
②何事もないようにいつも通りに過ごす
③仕事などがあったら手伝う。さりげなくやって相手の負担を減らす
④相手の好物やそれっぽい薬など役に立ちそうな物を置いておく

上記の中に不正解はありません。方向性が違うだけで全て”配慮や優しさ”の中の一つです。

②はダメじゃない?と思う方もいるかもしれませんが、

「いつも通りに過ごしてもらえるほうがいい」

「時間が経てば元に戻るから放っておいてほしい」等を相手側が望んでいる場合はありということです。

要は相手の要求次第になります。

要求がわからなければ、相手に合わせることができません。

要求を聞いても理解ができない場合は相性やタイプの不一致か、知った気でいただけで相手のことを全く理解できていなかったの二択です。

まとめ

今回、察することが義務ではない理由と想定される状況について解説してみました。

・空気を読めたところで自分にとって又は相手に正しいとは限らない
・自分と他者が別ものである前提を忘れてはならない
・察することが得意タイプと苦手タイプがあるというだけの話

空気を読む、察することができるというのはあくまで情報収集と相手を分析することが上手い人のことです。

憧れるこそあっても、周りがそうだから自分もそうならなければならないなんてことはありません。

もっとはっきりわかりやすく言ってほしいを思うことはは決して間違いではないのです。

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